2018年3月31日土曜日

NHK「マッサン」第2週「災い転じて福となす」感想。

大好評で始まった、朝の連続テレビ小説「マッサン」。
前評判から人気があり、私も見どころがたくさんある、と思って楽しみに見ていたのだが、早くも気持ちが失速してきてしまった。
というのは、主役のマッサンに、魅力がない、ということなのである。

国際結婚がテーマである。
あの時代に、はるばる外国から、家族も故郷も捨てて、「あなただけよ」と日本に嫁いできてくれたエリー、この、ひとりの女性が、すべて捨てるだけの価値、どうしても好きで好きでたまらないポイント、というものを、マッサンのなかに探したのだが、それが見当たらない。
この、マッサンという男は、ただの「情熱バカ」なのではないだろうか?
夢は大きい、仕事にも熱心である。
でも、人の心への機微というものに欠けている。

人間関係や、あるいは、日本に嫁いできたエリーがどんな苦労をするか、という点で、そうした苦労をどう乗り越えていくか、という点で、まったく頭を使っていない。
もしかしたら、「おつむが弱い」のかもしれない、と思わせるほど、頭を使っていない。
これがいわゆる、「ダメンズ」という性質なのでないか、と思う。
ダメンズにまいってしまったのだから、エリーもその程度の女性でしかなかった、見る目がなかった、ということなのだろうか。


男は仕事さえしていれば、それで女性たちがついてくる、と思っている「誰か」がいて、こうしたドラマを作っているのだろうか?

第一週の「鬼の目にも涙」もそうであったが、姑の嫁に対する、いわゆる「嫁いじめ」「嫁姑問題」は、笑いを取れるほど、簡単な問題ではない。
また、第二週目の今週もそうであったが、マッサンが留学渡航する前に、婚約をした女性がいたということも、ずいぶんとあやふやな約束ではあったようだが、こうした状況におかれた女性、(優子)の気持ちも、深刻である。
優子の気持ちをないがしろにしたまま、それでもエリーの味方をする、この問題に真摯に取り組もうとしない、マッサンや周囲の男性たちの対応は、とても残酷である。
ドラマとしては、話題性を持とうとしたのかもしれないが、朝からイジメを見てそれを見続けるほど、私たちは暇を持て余しているわけではない。

しかし、男性側の思い違いというのは、こうした、仕事の邪魔になる女性たちの人間関係や感情というものを、「女難」と捉えていて、時にはこうして、女性たちの感情をかきまわすことを、男の甲斐性であるとか、もててもててしょうがなくて「うれしい悲鳴」と感じる傾向性がある、ということである。
別にこれは、マッサンがもてているわけではなくて、マッサンに、人の感情を思う心の機微と、人間関係を調整する頭脳がないだけ、なのである。

二週間見てきたのだが、最初の期待がだんだん薄れてきてしまった。
ただただにぎやかで騒がしいドラマ、という感じである。
それにしても、「あなたは仕事さえしていればいいの、私は意地悪でもなんでも耐え抜くわ」という女性が、どこにいるだろうか?
夫婦愛をテーマにしたというが、早くも興ざめである。

女性は、女性の気持ちや人の気持ちに敏感で、心遣い、言葉遣いの丁寧な男性が好きである。
仕事さえしていれば、人はついてくる、というのは、男性陣の、完璧な誤解である。
ただ、職場で、仕事の上司などであれば、仕事にプライベートを持ち込まず、仕事だけに専念している男性上司というのは、とてもやりやすい仲間となるかもしれない。
それでも、これからの社会で、仕事をする際に、女性たち、つまり複数の女性が仕事仲間であるときに、その人間関係を調整するのは、男性や上司の役割であるから、それができない上司というと、やはり願い下げである。


☆追記
このマッサンは、初めてエリーを日本に連れてくるときに、「お母さんがエリーに会いたいと楽しみに待っている」と言っている。
これは、真っ赤なウソであった。
このために、エリーがどれだけ泣いたかわからない。
マッサンという男は、物語の一番最初から、ウソツキなのである。


NHK「マッサン」第1週「鬼の目にも涙」感想。

朝の連続テレビ小説「マッサン」が始まった。
私も前々から楽しみにしていたので、一日、一日、いろいろな興味を持って、見ていた。
一週目は本当に、盛り沢山な内容で、意気込みが伝わってくる。
国際結婚のふたりが主人公とあって、英語の字幕が出たり、時には吹き替えになったり、日本の広島県が背景となるかと思えば、スコットランドに変わるときもある。
今週は、日本の実家に、外国人のお嫁さんを連れて帰ってきたところから始まって、回想をまじえながら、ふたりが出会ったいきさつや、結婚を決心するまでの心の流れ、日本に来るまでの心の葛藤や周囲の状況まで、描いていたと思う。
そして、新番組の紹介でもあったように、日本の文化を再発見する、という意図や、冒険の物語を描いてみたい、という意図も、とても盛ってあるかんじがした。
特に、日本文化の発見については、外国から来てくれたエリーの戸惑いを通して、日本人の私たちこそが、認識しなおせる、お楽しみも含まれているようで期待したいと思う。

「マッサン」を、これから半年間見ていくときに、どんなことをポイントにして自分なりに観察したり、発見したり、感動したりしたいかな、というときに、一週間見ていて私もあれこれ考えたけれども、ひとつとても気になることは、これは、男性が書いた脚本である、ということである。
男性には男性にしか見えない世界観があり、人間観があると、私は思う。
すでに、主人公の亀山政春は、ちょっと女性たちからは想像もできないような行動形態をとっていて、将来の夢も大きい。
ドラマのなかで、大声を張り上げるのも、とても意表を突かれるかんじがする。
それで、私はこのドラマを見るときに、「男のサクセスストーリー」という視点から、物語を眺めてみたいと思う。

考えてみれば、前回の「花子とアン」が、女性のサクセスストーリーであったので、そういった意味からも、比較検討もできて、面白い試みだと思うのだが、どうだろうか。

さて、政春の物語は、始まったばかりである。
まず、今週は26歳。
まだまだ若い。
将来への夢も希望も、とてもたくさん大きくある。
そのひとつひとつを実現させていくことが、政春の人生のストーリーだと言えるだろう。
今回のドラマは、子ども時代から時系列を追っていく、という構成ではないので、子ども時代のことはよくわからないが、それでも、誰もが20代には持っていた夢も希望も、男性なら誰もが持つ大志を、持っている。

政春はまず、「大恋愛をする」という夢をかなえたところである。
「大恋愛をして、愛し合って結婚する」「最高のお嫁さんをもらう」という人生の重大ポイントを成し遂げたところである。
この結婚が、日本に来たら、猛反対に遭う。

若い男性の希望も野心も、そして若いというだけで、こういうものではないだろうか。
同じNHKの大河ドラマでも、男性が主役だと、子ども時代から若い時代を描く放送回では、なかなか視聴率が上がらない。
というのは、子ども時代、若い時代は、凡庸でうだつの上がらない、どちらかというと恵まれないのが、男性の若い時代、というものだから、ではないかと思う。

男性社会は厳しい縦社会になっていて、若いというだけで、最下位である。
これが、大河ドラマでも、大人になって仕事上の成果を成し遂げるようになってくると、物語としても盛り上がってくるし、成功の喜びに満ちてくる。
若かりし時代を描いたときには、「まるで自分を見ているようだ」と苦々しい思いをしてチャンネルを回した視聴者も、成功が続く壮年時代になるとやはり「まるで自分を見ているようだ」とチャンネルを合わせるのである。

男性の若い時代というのは、こうして、夢と希望と野心があっても、うだつの上がらない風采をしているものである。
けれども、胸に秘めた夢への思いはとても熱く、重いものではないだろうか。
そして、その夢が実現できるのだろうか、実現できないのではないか、と不安と恐怖に怯えているのかもしれない。
また、若い時代でまだ何も始めていない時期には、自分自身の胸に秘めた夢を、誰かほかの人に語るということは、まったくないのではないか、と思われる。
ドラマのなかでは、政春は、親や実家の番頭さんや、あるいは空や田んぼに向って、「俺は日本で初めてのウイスキーを作りたいんだ!」と叫んでいるが、本当に男性たちは、自分の夢を口にするだろうか?
私はそういう姿をあまり見たことがないように思う。

けれども、恋人だけは別である。
私の友達の経験だと、それまで平々凡々と、「人生はたいがい良ければそれで良し」などと言っていた恋人が、打ち解けてくると、熱く夢を語る日が、いつか来るのだという。
その夢は、恋人にしか打ち明けたことのない内容で、ほかの誰かに言ったことは一度くらいはあるけれども、はなから莫迦にされてしまった、ということなのである。
そして、一度莫迦にされると、もう二度と誰にも言わない、と心を閉ざしてしまうのが、男性である、とその友達はいうのである。

政春にとっては、己の心に秘めたウイスキー造りへの夢を、恋人のエリーに語ったところから、人生が始まるのではないか、と思う。
男としての、成功へ向けての夢の第一歩である。
くじけそうになるとき、困難にぶつかるとき、周囲の反対に遭うとき、恋人であり妻であるエリーだけが、政春の本当の目的を理解して、支えてくれる。
妻、というのは、それだけで存在価値があるものであるし、それだけが、妻としての役割であるかもしれない。

政春は、妻エリーという理解者を、生まれて初めて、もったのだと思う。
そこから、サクセスストーリーが始まる。
男社会の上下、親子という上下もとても厳しい。
この厳しい下位にいて、エリーだけは、政春を見上げて、理解して、支えてくれるのである。


NHK「マッサン」主題歌「麦の唄」感想。

NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」が、新しく始まった。
何もかも、新しいかんじがして、とても新鮮である。
きょうは、主題歌をとりあげて、その感想を語ってみたい、という強い思いとなったので、書いてみたい。

麦の唄

なつかしい人々
なつかしい風景
その総てをはなれても
あなたと歩きたい

嵐吹く大地も
嵐吹く時代も
陽射しを見上げるように
あなたを見つめたい

麦に翼はなくても
歌に翼があるのなら
伝えておくれ故郷へ
ここで生きてゆくと

麦は泣き 麦は咲き
明日へ育ってゆく

作詞・作曲は、中島みゆきさんである。
ここでは、北海道時代のファンという意味からあえて「みゆきさん」と「さん」付で呼んでみたい。
「さすが」という気持ちである。
誰もが「マッサン」のあらすじをすでに知っていたと思うので、この主題歌が流れたとたんに、涙、涙である。
遠いスコットランドから、海を渡って、国際結婚で日本に来た妻・エリー、その気持ちを歌ったものであることは、よくわかる。
ここで、前回と同じく、国語として、国語教育の意味で、この歌を考えてみたい。

「なつかしい人々
なつかしい風景」
これは、エリーの母国、スコットランドを表していると思われる。
しかし、このワンフレーズをよく聞いてみると、次に続くのは、
「その総てをはなれても」なので、スコットランドを離れることがわかる。

次に、「嵐吹く大地」「嵐吹く時代」
これは、地理的な状況と時間的状況、雰囲気を表していると思われる。
「どんな場所でも」「どんな状況でも」
という意味だと考えられる。
そして次に、「嵐」に対比させるように、「太陽」を表す「陽射し」という言葉が続く。
この「太陽」が、夫であるマッサンを意味するのであるから、非常に、人間関係と愛情と立場を、自然環境にあるもので表現していることがわかる。

こうして考えていくと、「麦」は、とても表現豊かなたとえであり、たとえばエリーが自分自身の平凡さや無力さを思うのかもしれない。
また、夫婦の愛情を、麦という素朴な主食である穀物に例えたともいえる。
また、マッサンが目指すものは、日本初の国産ウイスキーなので、その原料である「麦」を出している。
ふたりの愛情と、絆と夢を、「麦」にたとえたわけである。

「伝えておくれ」で、エリーの国際結婚の意思が表れる。
そして、「麦は泣き 麦は咲き」
この「泣き」は、悔し涙や悲しい涙をさすだろう、
しかし、「咲き」では、成功を表す言葉が使われている。
試験の合格発表のときに、「桜咲く」と言う意味である。
こうして、マッサンのテーマと、ストーリーと、夫婦愛と、エリーの心情が、歌われている。
日本語としては、割合にスムースな手法となっているが、表現やたとえがとても的確でストレートであるように思う。

毎日、この主題歌とともに、ふたりの夫婦愛を確かめることができる、秀逸な歌である。


NHK マッサンが始まった! 感想。

秋、二学期、後期、いろいろな言い方があるが、ともかくテレビの世界では、新しい番組がたくさん始まった。
そして、私の大好きな、NHKの朝ドラこと朝の連続テレビ小説(私はテレビ小説、という言い方が大好きだ)「マッサン」も始まった。
今回の朝ドラは、主に大阪のNHK局が担当する。
これは、長い間、朝ドラを見ているとわかることであるが、4月から9月の前期は東京放送局、10月から3月の後期は大阪局が担当することに昔から決まっていて、日本全国放送ならではの、配慮かな、と思う。
「マッサン」というのは、ちょっと聞いただけではすぐにはわからないが、男性の呼び名だそうである。
今回の朝ドラは、夫婦、国際結婚、がひとつの大きなテーマになっていて、スコットランドからお嫁さんに来たヒロインが、夫の政春さんを「マッサン」と愛称で呼ぶところからきているそうだ。
とすると、ヒロインだけでなく、ヒロインの相手役であり、夫役であるマッサンも、主役、ということになる。

ヒロインのオーディションのときから、とても楽しみにしていたドラマが、きのう、第一回、始まった。
まず、とっても感動したのは、最初のシーンが、北海道のロケだったことである。
北海道の余市町から始まった。
この「余市」は、「よいち」と読む。

余市は、私は北海道にいたときから、何度も行ったことがあって、社会見学で、ニッカウヰスキーのファクトリーには、行ったことがあるし、その後も、友達も暮らしているし、ドライブのときには、小樽から足を延ばして、海沿いに走るときもある。
やっぱり余市というと林檎で、赤くてとてもおいしくて、冬は木箱に入った余市の林檎である。
それから、余市というと、有名なのは、宇宙である。
というのは、宇宙飛行士の毛利衛さんが、余市の出身なのである。
だから、余市の中心の公園には、スペースシャトルの銅像がある。
余市はとても素敵なところで、札幌から小樽へドライブして、小樽でおいしいお寿司をいただいてから、余市を見て回るととても素敵だと思う。

そうした余市のシーンから始まった。
あの独特の陽射しと、緑の木々と、青空のあの青は、北海道の夏の独特である。
たぶん6月の撮影ではないだろうか、と思ったので、ちょっと調べてみたら、やはりロケは6月だったようである。
それから、とても印象的な白樺並木であるが、これはスコットランドまでロケに行ったのだろうか?
私のよく知っているところでも、とても印象的な白樺並木があって、そことよく似ていた。
冬は雪の白樺並木となるところで、「マッサン」では、夏、初夏の、映像だった。
とても大好きな景色である。

こうして始まった、新しい朝ドラ、これから、寒い冬も、クリスマスもお正月も、そして、春3月を迎えるまで、楽しみに励みに、見ていきたいと思うのである。