2018年3月31日土曜日

NHK「マッサン」第5週・感想・優子さんとお見合い結婚。

きょう、木曜日の「マッサン」は、本当に楽しかった。
夫・政春の大株主を前にしてのプレゼンテーションで、妻のエリーが、見事な手助けをする。
お料理を作って運んできて、このお料理が、ウイスキーにとても合う、というのである。
大株主たちも「これはいけますな」と大喜びで拍手をする。
ウイスキーを造らせてもらえるかどうかは、まだこれから段階を踏まなければならないが、ともかくは大成功である。
エリーの「内助の功」は、とても素晴らしい、と思った。

ところで、このエリーのアイディアは、住吉醸造の一人娘・優子さんのお料理を見ていて思いついたものであった。

政春がスコットランドから帰ってきたら、結婚する予定であったと、これはなんらかの誤解なども混ざっていたようなのだが、その予定だった優子さんである。

この優子さんは、最初はエリーに意地悪をしたりもしたけれど、お父さんやお母さん、お祖父さんの考えもあって、お見合いをすることになった。
お見合いの相手は、浪華銀行の預金課課長代理で、29歳。
住吉酒造の株主である海運会社社長の
藤岡正太郎の次男・藤岡次郎さんである。
紆余曲折はあったけれど、次郎さんと会ってみて、とてもよい人で、「私はほっとしたわ」と優子さんは言っている。

お見合い結婚、親の決めた結婚、これは、なぜか「幸せにはなれないもの」と決めつけがないだろうか?と私は考えてしまう。
なぜなら、私はずっと以前に、いろいろな高齢者のかたから、結婚や人生について話を聞いたことがあったからである。
ちょっと前まで、第二次世界大戦のころまでは、お見合い結婚が主流だったようである。
たいていの高齢の婦人が「うちはお見合い結婚よ」と言ったときもあった。
そして、その結婚が幸せだった、という女性もたくさんいた。

「結婚してから恋愛したのよ」
「会ってみたら、とてもいい人で、やさしい人でね」
「結婚してから、子どもができて、趣味の話をしたり、仕事の話や家族の話をゆっくりしたりして、主人のことを大好きになったのよ」
こういうお話が多かった。
そのときは意外な気がしたけれども、生活環境がよく似たところに育って、両親からも祝福されて、仕事も人柄も「大丈夫」という男性とお見合いをして、それから、小さいながらも結婚式を挙げて…そういうお見合い結婚にも、幸せな夫婦像が、あるのではないか?と私は思ったのである。

「マッサン」では、優子さんが、お見合い結婚に向けて準備中である。
ぜひ、「お見合い結婚の幸せ」を教えてほしいものだ、と思う。
結婚にはいろいろな形があって、どんな道すじであっても、出会いは出会い、縁は縁なのではないか、と私は思う。
穏やかに紡ぐお見合い結婚の夫婦、というのも、あっていい、と私は思う。


NHK「マッサン」第5週「内助の功」・「マッサン」に学ぶ夫婦仲。その2.

今週の「マッサン」は、テーマがその名も「内助の功」。
夫婦仲、というものに興味津々な私は、ドラマ「マッサン」から、ぜひとも仲良し夫婦の極意を学びたいと、真剣に見ては考えている。
きょう火曜日の「マッサン」は、やはり夫・政春の仕事が、壁にぶつかっている状況である。
住吉酒造の社内にも「敵」がいるし、大株主もまた、ウイスキー造りには反対の「敵」である。
これらの人物を説き伏せて、なんとか了承を得なければならない。
了承、といっても、お金の問題なので、これは本当にむずかしい。

人にものを頼むときというのは、男にとっても、女性にとっても、本当につらいことである。
時には頭を下げて、時には要求を呑んで、負けを認めて、そして頼みごとをする。
政春は、ウイスキー造りのための、資金集めからしなければならない状況である。
頭を下げている。
大株主、小株主、あちこちに土下座までしている。

土下座というと、昨年、話題になったTBSドラマで「半沢直樹」というのがあった。
本当に男の人は、土下座をするものなのだろうか?
そこまでするのだろうか?
それとも、これが最終手段なのだろうか?
一般の会社でこうしたことが行われているのだろうか?
それで本当に、相手は頼みごとを受け入れてくれるのだろうか?

このあたり、「男のサクセスストーリー」として、ちょっと疑問に思うところである。
「頼みごと」というのは、営業でもあるし、プレゼンテーションでもあるだろう。
ある意味で、頭を下げれば了承してもらえるならば、そんな楽なことはないんじゃないか、とも思う。
相手に、納得してもらうこと、あるいは相手にも同じ気持ちになってもらうこと、「自分もウイスキー造りに参加したい」「それは面白そうだ」「やってみたい」「成功してもしなくても、挑戦し甲斐がある」と思わせることも、男の仕事の手腕であるように思われる。
手土産やもてなしもそうであろうし、私はなによりも、仕事の内容やお金の使い道を、よく説明することが、大事であるように思う。
ウイスキーを「おいしい」と思ってもらうことも、とても大切だと思う。
政春はどうするのだろう?

次にエリーである。
エリーは、目の前で夫の土下座を見て、どうだったのかなぁ?と思う。
もし私だったら、夫がそこまで人に頭を下げているのを見たら、とても悲しいと思う。
ごめんね、マッサン、私がもっとがんばればよかった、なんとか私の力で大株主を説得してあげたい、なんとでもしてあげたい、と思うかもしれない。

しかし、きょうのエリーは、さんざんお酒を飲んでよっぱらった政春に、叱咤激励をしたのであった。
いかにも日本的な飲み屋さんに、酔いつぶれた夫を迎えに行く姿が、すでにもう、新婚を通り越して、立派な奥さんである。
夫の青い帽子をちょこんと頭に載せたところが、とても可愛い。
こうして、夫の持ち物や着る物を、なんの抵抗もなく身に着けることができるのも、妻の自然なしぐさだろうか。
あるいは、妻の特権だろうか…?

ともかく、エリーは叱咤激励をする。
酔いつぶれたのであるから、ただ叱る、ただ怒る、という場面でもある。
「叱咤」の次に「激励」をつけたのは、よき妻の内助の功かもしれない。
しかし、夫を叱り飛ばす妻、というのは、恐妻ではないだろうか?
夫は妻から叱られたいものだろうか?
もし私だったら、夫を叱ったり怒ったりしないで、やさしく励ますだろうと思う。
…とそこまで考えてみたけれども、できるだけ優しく対応しようと思いながら、できるだけ言葉で説明して理解と納得を試みたつもりでも、10日に1割は、叱咤・怒りまくる、かもしれない、と思う。

世の中の男性陣は、妻から女性から、叱られてみたいものだろうか?
これはとても面白いところである。
脚本家が男性なので、世の中の男性は、こうして妻から叱られると発奮するものだ、と心得ておくことにしようと思う。


NHK「マッサン」第5週「内助の功」・「マッサン」に学ぶ夫婦仲。

楽しみな朝ドラ「マッサン」。
「マッサン」の政春とエリーの姿から、夫婦仲を学んでみたいと思っている。
今週は「内助の功」という題名である。
夫婦仲を学ぶにあたって、とても楽しみなのはやはり「内助の功とはなにか」という難題である。
「内助の功」という言葉は聞いたことはあるが、その内容というと、いまだに誰も解説できないのではないだろうか。
きょう、月曜日の放送でも、エリーは「自分にできること」「自分にしかできないこと」に関して、とても悩んで考えていた。
エリーはどんな「内助の功」を見つけ出すのだろうか。
これからの放送が楽しみである。

もしも、「内助の功」に明確な定義が定まるなら、そしてその定義が、外で働く一人前のお給料に匹敵するのなら、それは主婦業の仕事として、社会の中で認められることになる。
とても残念なことに、今の社会では、欧米でも日本でも、「内助の功」はあって当たり前のものであって、一人前の働きとはみなされない。
そのために、さまざまな女性に関わる問題が起こっているように思われる。
たとえば、家事や育児に関わる仕事がとても大変である、という主婦の声は、経済的な見地からは認められない。
家事も育児も外での仕事も、やって当たり前、となる。
こうしたところから、女性への偏見や男女平等とは言いかねる状況も生まれているのかもしれない。

ところで、エリーの内助の功、というと、一番先に思いつくのは、やはり、政春が仕事で疲れて家に帰った時に、「好きな女性がいる」ということである。
好きで一緒になった仲なので、家に帰ったら、世界で一番大好きな女性が、政春に買ってもらった可愛らしいお洋服を着て、髪もきれいに整えて、笑顔で「おかえりなさい」と言ってもらったら、それだけで、いっぺんに疲れも吹き飛ぶ。

女性や妻の役割が「癒し」だけだとすると、そんなことを言ったら叱られてしまいそうだ。
しかし、家に帰ったら、「鬼」が待っているとすると、こんな恐ろしいことはない。

夫が、仕事ががんばれるように下支えをするのが、妻の仕事だとするなら、やはり自宅では、笑顔で可愛らしく迎えるのが、仕事の一番の支えになるように思う。

また、エリーはすでに始めているが、女性は女性同志のコミュニティを作ることは、とても大事だと思う。
女性が集まって井戸端会議、お茶のみ話を行うのは、主に情報交換のためである、と脳医学的に言われているようだ。
この情報交換がいかにうまくできるかは、妻の腕の見せ所ではないだろうか。

近所の情報、会社内部の情報、今話題の商品についての情報、女性たちのもっぱらの関心事は何か、どこのおうちでどんな冠婚葬祭があったか、こうした情報は、男性の仕事にとって、間接的に役立つものなのではないか。
おそらく、私の予想であるが、政治にも選挙にも、商売にもヒット商品のコピーライティングにも、こうした「女性の本音」は、とても大切な情報である。
その本音は、井戸端でしか語られない。
それを、会議の一員として話して語ってそして耳を研ぎ澄ませて聞いてきて、それを「自宅で」夫にだけ話して聞かせるのは、妻だけの仕事である。
情報網、情報源というのは、とても大事なものである。

ただし、単なるうるさいおしゃべりにならないように、気を付けなければならない。
男性が相談したいと声をかけたときに、「受け身で」行うことが大切かもしれない。

また、女性のコミュニティにおいて、とても信頼されている妻が、一心に夫を尊敬している、というその態度も、「内助の功」になるかと思う。
これは、社会での信用の問題である。
男性は、一般的に口下手であったり、コミュニケーションが不足がちであったりする。
また、男性同志の信頼関係において、何をもって測るか、というものさしもある。
そうしたときに、家で一緒にくらしていつも一緒である、妻が、幸せそうである、夫を信頼している、というのは、外から見て、この夫への信頼が高まるものではないか。
そうしたことが、夫の仕事がうまくいくための、内助の功になるのではないかと思う。

また、女性が内気で弱気で可愛らしいときに、家で小さくなっていると、とても可愛い。
可愛い妻の姿を見ると、がんばろう、という気持ちになれるものだ、と何かのサイトで書いてあった。
きょうのエリーは、すねて甘えてとても可愛かった。
こんな姿を見たら、やっぱり守ってあげよう、男が強くなろう、という気持ちになるのではないかと思う。

「内助の功」は、いろいろな形があるが、決して「外助の功」ではない。
夫の仕事にでしゃばって、契約を取り付けてきたりしないように、気を付けてほしいものである。
可愛いエリー、がんばれ!

NHK「マッサン」第4週「破れ鍋に綴蓋」・「マッサン」に学ぶ夫婦仲。

NHKで10月から始まった、朝の連続テレビ小説「マッサン」も、早や4週となった。
今回のドラマ「マッサン」で、一大テーマとなっているのは、夫婦仲である。
国際結婚という、大恋愛あっての結婚であることは一目瞭然の仲であるし、主題歌「麦の唄」も、夫婦仲を唄っている。
「夫婦仲」というよりも、「夫婦大恋愛」というようなかんじである。

前回のドラマ「花子とアン」では、教育を受けた女性の一生を思った。
また、「花子とアン」スピンオフドラマでは、「好き合った者同志でも、うまくいかないことがある」という大問題について、「本当にそうなのか?」と疑問に思った。

それで、なかなか手をつけられずにいた、というか、なかなかそうはうまく行かないんじゃないか、と思われた「夫婦仲」について、ドラマを見て学ぶ、という形で、少し書いてみようと思う。

第4週「破れ鍋に綴じ蓋」では、いよいよ政春とエリーの新婚生活が始まっている。
これは、もしかしたら結婚生活の経験がある人には、「あるある」「よくある」ということかもしれないが、政春とエリーの、「すれちがい」について、よく描かれているように思う。

夫の政春は、外で仕事をしてきて、仕事の内容によっては、落ち込んで帰ってくるときもあるし、考え事をしているときもある。
何か自宅に忘れ物をして帰ってきたり、必要な本を取りに戻ってきたりもする。
あるいは、仕事でとてもエキサイティングなことがあって、少し興奮気味で帰ってきたりもする。

一方で、家で待つ妻のエリーとしては、妻には妻の生活があり、人間関係があって、夫が家に帰ってきたら、一番で話したい、相談したいことがある。
また、結婚の目的というと、一緒にいること、一緒に話すこと、ではないかとエリーは思うので、「もっと話しましょうよ」「何かあったら相談して決めましょうよ」という態度である。
これは、国際結婚であろうと、日本人同志の結婚であろうと、妻の気持ちはあまり変わらないのかもしれない。
妻の気持ちであり、結婚に対する態度であり、結婚に対する期待でもある。

毎日、会って顔を合わせて、お話をしましょうよ、ということである。
でも、夫のほうはそうではないように思えてくる。
外で仕事をして、家では、ご飯を食べて、くつろぐ、ということであるようだ。
そして、妻に求めるものは、くつろぎや癒しであるようだ。
妻と「話し合いをする」「相談事をする」のでは、くつろげないのかもしれない。

私は、「花子とアン」では、教育を受けて、仕事を持つ女性の生き方を、全面的に肯定して書いてきたのだが、もちろん、専業主婦、という生き方にも、とても興味を持っている。
また、「マッサン」の来週のテーマが「内助の功」であることから、専業主婦としての内助の功はどうあるべきか、という点でも、とても興味を持っている。
内助の功のある男性と、ない男性では、仕事の仕方や成功の度合いがちがうのではないか?とも思っている。
実際はどうなのかは、そういった統計があるのかないのかさえ、よくわからない。

それで、ドラマ「マッサン」から、少しずつでも、夫婦仲というものを学びたいと思う。
私は、今週の放送を見て、夫婦というのは、まずは一軒の家で「一緒に暮らす」ということが大事なのではないか、と思った。
一緒にいて、暮らしやすい、過ごしやすい相手というのはいるものだ。
たとえ血を分けた家族であっても、一軒の家で一緒に暮らすには、とても暮らしずらい場合も、あると思う。

家族同志でも、生活スタイルがちがったり、物音が大きいとか、共有スペースの使い方がうまくない、ということである。
また、話しかけてほしくないとき、ほおっておいてほしいときに、もう片方は、話したくてしょうがない状況もあるかもしれない。

今週の政春とエリーでは、「一緒に暮らす相手としてどうか?」を考えさせられた。
片方があまり話したくないときに、もう片方が、話したくてどうしようもない、これでは長い夫婦の暮らしは、円滑に続きそうにない。

私は思う、政春が仕事から帰ってきたら、エリーはあまりすぐに話しかけたりしないで、しばらくの間、そっとしてあげたらどうだろう?
男性にとって、外は、7人の敵がいる場所で、心に鎧も兜もつけている。
その鎧兜を脱いで、靴下も脱いで、顔を洗って手も洗って、ネクタイをはずして、上下ともスエットに着替えるまで、待っていてあげてはどうだろう?

その間、エリーは、ご飯やおつゆを温めたり、台所で政春の様子を観察したりしていてもいいと思う。

家は、一家の主人の邸宅であり、お城であるのではないか、と思う。
あるいは、妻が待っていて管理しているとはいえ、自分の家である。
くつろげるようなたたずまい、雰囲気、言葉のかけ方があるのではないだろうか。

そうした、帰ってきてからのほんの15分の気遣いで、夫婦の暮らしはとても、暮らしやすくなるのではないか、と思う。
そして、「一緒にいて居心地がいい」「暮らしやすい」ことが、好き合って一緒になったふたりが、長く続いていけるための、大切なポイントなのではないか、と思う。


NHK「マッサン」第4週「破れ鍋に綴蓋」感想。

マッサン、ヘッドハンティングに遭う。
今週も、「マッサン」には、朝からたくさん笑顔をもらった。
とても楽しい一週間だった。
とはいっても、政春本人にとっては、仕事上の一大事件が起こる。
出始めていたワインの瓶が割れる、という事件が起こるのである。
ワインの瓶が割れるのは、たとえばコーラの瓶を振ったときに、炭酸が膨張してバンとなるのと、理屈は同じである。
ワインのなかで発酵が起こって、夏の暑さで、炭酸ガスが膨張したのだと思われる。
当時としては、瓶の製造も始まったばかりである。
政春は、この原因を突き止め、自分が勤務する住吉酒造で作ったワインは、残留発行物がないことを立証する。
つまり、住吉酒造のワインは、爆発はしていないのである。

しかし、商売の世界は厳しいもので、どこの会社のものであれ、ワインの消費は低迷してしまう。
イメージが悪くなってしまったのだ。
それで、住吉酒造は、経営難に陥る。

たくさんのワインの箱が、返品されてくるシーンは、物悲しいものだ。
経営難で取る手段はいろいろあるが、女性たちにとっては、住吉酒造の社長の一人娘が、銀行関連にお嫁に行って、たくさんの融資を受けることである。
社長は、金策に走り回っている。
政春は、自社のワインの安全性の立証を実験で証明して、取引先の鴨居商店の鴨居社長と、袢纏を着て、頭を下げて走り回る。

夫がこうした状況にあるときの、家で待っている主婦であるエリー。
夫が帰宅したときの表情もさまざまであるが、家で待っているエリーとの会話の「合わないようで合っている」は、まさに今週のテーマ「破れ鍋に綴じ蓋」である。
破れているのは、政春の仕事であろうか、破天荒な鴨居社長であろうか。
綴じているのは、エリーの家事専念であろうか、優子の日本女性の生き方であろうか。

こうした状況のなかで、政春は、サントリーの鴨居社長の「やりかた」に魅せられていくようだ。
確かに、カモキンさんは、奇想天外な、いろいろ面白いことをしている。
それに、何よりもボスとして、魅力的である。
あんなボスのもとで働いてみたい、と仕事に情熱を燃やす男なら、誰もが熱望するのではないだろうか。
しかも状況として、今いる住吉酒造は、経営難である。
鴨居商店なら羽振りがいい。

そうしたタイミングでの、ヘッドハンティング、つまり、「うちで働いてみないか」の声掛けであった。
鴨居さんは、政春の苦境を知っていて、手助けを申し出たのだろうか、それとも、いい人材をまさにハンティングしようと隙を見つけたのだろうか?

男が仕事をしていれば、あるいは「デキル」男であるならば、こうした瞬間は訪れるものではないだろうか。
それは、実力を認められたということであり、最大のほめ言葉でもある。

政春は悩む。
今週では、まだ結論は出ていないようである。
というのも、さんざん悩んだ挙句に、やはり義理人情を取ろうとしたときに、妻のエリーに「もっと私に相談して」「鴨居さんと仕事をしているときに、あんなに楽しそうだったでしょう」と言われる。

ゴンドラの唄も思わせぶりである。
「命短し恋せよ乙女」「朱き唇あせぬ間に」である。
生きている時間は短い。
日本初のウイスキー造りのためには、時間を惜しんで、チャンスをものにすべきではないのか?

難しい問題だ。
こうしたときに、女性なら「義理人情より、一家の生計を考えるべき」とか「別にいいじゃないの」と夫にアドバイスしてしまいそうである。
しかし、こうした「甘い誘い」に乗ってしまうと、あとあと一生の信頼を失いそうである。
しかし、信頼を大事にしていたら、あっと言う間に、住吉酒造は、だめになってしまうかもしれない。
チャンスといえばチャンス、選択肢がまっぷたつに分かれているときなのである。

自分のしたいことと魅力的な上司、会社の経営、会社のため、ということ…。
男は悩む。
悩んで成長する政春の姿は見ごたえがある。

そしてもうひとつ思うのが、政春は職人気質であり、ウイスキーを造るのは、実験・研究であるのだが、ここで、「採算」という問題が出るところである。
鴨居さんから刺激を受けて得たのは、「商売にならなきゃどうにもならない」「売れなければどうにもならない」ということである。

絵描きや物書きもそうであるが、自分のしたいことを追求していくことと、それが商売になること、このはざまで、もっとも苦しむものである。
こうした葛藤をどう乗り越えるか、これからの「マッサン」の見どころである。

NHK「マッサン」感想。マッサン・男前の魅力。

NHKの朝ドラ「マッサン」が、大人気である。
放送も4週目にはいった。
私にも、この「マッサン」という「男」の、大全開な魅力が見えてきたので、とても楽しくなってきた。
マッサンこと亀山政春は、とても反骨精神の強い男なのである。
私は、「酒造り」という仕事が最初よくわからなかった。
でも、だんだんわかってきた。
それは、農業とはちがう。
農作物ができあがったところから、次の生産加工物を作る。
でも工業ともちがう。
酵母を使って醸造させるから、生きている産物である。
それを時間をかけて、何十年もときには何百年もかけて、熟成して育て上げる仕事である。

政春の実家はもともと、日本酒の造り酒屋である。
これは、代々続く、何百年もの旧家なのだろう、と思われる。
その家も仕事も、長男が跡継ぎをすることに決まっているのだろう。
エリーがいたら「どうして?」と問われそうであるが、日本の後継ぎというのは、長男が総領と決まっているのである。
それなので、次男に生まれた政春には、生まれたときから、長男にはどうしてもかなわない、という強い劣等感と、うちひしがれたかんじ、があるかもしれない。
それで、大阪の住吉酒造で働くことになる。
このあたりは、ドラマのなかでも描かれているが、婿養子に入るような話であった、ということである。
酒造りの家の次男が、酒会社の婿養子なので、自然と言えば自然の成り行きである。

そこで逆らったのが、政春の反骨精神であるように思われる。
留学先のスコットランドから、国際結婚のお嫁さんを連れてきたのだ。

もともと、この留学も、「次男だから」という理由が大きいように思われる。
「花子とアン」でも、村岡印刷のご長男が日本で父親と一緒に大きな会社を運営しているときに、次男はロンドンに新しい印刷技術を学びに留学に行っている。
この時代には、こうして、外国から新しい技術を学び取り入れることがさかんだったのかもしれない。
そうしたときに、長男と次男の役割が分かれるのは、あちらでもこちらでも同じ形態だったようだ。

そうして、スコットランドに留学に行かされた次男・政春は、そこで現地の女性エリーと恋に落ちて、もう日本には帰らなくてもいい、とまで思う。
そこを、エリーは「あなたの夢は日本でウイスキーを作ることでしょう」と言って、「私が日本に行くわ」というのである。
エリーは、政春の反骨精神も劣等感も、そして、できれば一国一城の主になりたいという野心も、よく理解していたように思える。
政春は、劣等感と野心を行ったり来たりしているような、心のありかを持っているようなのだ。

そうして、劣等感にさいなまれて、どうしても、もうだめかもしれない、というときに、うまく上手に支えてくれるのが、エリーという妻だったのかもしれない、と思う。

また、外国に行って、リベラルな空気に触れてきたのも、劣等感のある身としては、とても有意義だったのではないか、と思われる。
エリーが身に着けている、西洋なりの、リベラルさ、平等感覚、というのが、政春にとっては、心地よかったのではないだろうか。
そして、エリーと一緒にいると、日本のがんじがらめの造り酒屋の家制度や、長男跡継ぎ制度から、自由になれるのではないか、というかんじがする。

政春はこのあと、夢と希望と絶望と困難と、野心と劣等感と、旧習とリベラルの間を行ったり来たりしながら、ウイスキー造りを実現させて、一国一城の主となることができる。
そこまでの、熱意と失意が、女性たちにとっては、たまらなく愛おしくて、「このひとを支えてあげたい」と思わせる、男前の魅力になるのではないか、と私は思う。


NHK「マッサン」第3週「住めば都」感想。

抜群に楽しい朝ドラ「マッサン」も第三週に入った。
だんだん、どんなふうに見たらいいのか「見方」がわかってきたかんじがする。
相手によってこちらの態度をそれなりに変化させて、言葉遣いやうなづきかたも変えるように、ドラマによって、視聴者の態度もそれなりに、変えるほうがいいのかもしれない。
ともかく、「マッサン」は、面白い。楽しい。明るい。
これはコメディというものなのだろう。
何かすごく大きなテーマを持ってそれを訴えようとするドラマもあるのかもしれないが、笑いあり、涙ありで、感情や心に訴えて、朝から心に笑顔をくれるのも、ドラマの大切な役割なのかもしれない。

それに、関西弁がとても調子が良くて、笑ってしまう。
15分を観終わったあとは、家族と関西弁でおしゃべりしてしまうほどだ。
関西というのは、実際にこういうところなのだろうか?
だとしたら、すごく楽しい。行ってみたい。

それに、女性が強い、というか女性たちが元気である。
しゃしゃり出てきてあつかましい。
言葉にはりがあるし、態度も大きい。

今週のマッサンは、エリーとふたりで新婚生活を暮らすための、貸家を決めた。
これが、「住めば都」の「住めば」に当たるのだろう。
そう考えてみると、今回のドラマの週間タイトルは、つぎつぎと日本のことわざというか、いろはガルタみたいな言葉が飛び出してきてこれが、日本人のハートにぴったりフィットする。

なんだか今週は、地方創生もあるしリニアもあるし、地方だって「住めば都」なのではないか、と考えてしまうのである。
外国から来たエリーにとっても、「住めば都」という日本のことわざは、一生の座右の銘ともなることばなんじゃないか、と思う。

それにしても、このダンナ・マッサンの、抜けているかんじ、というのはどうなっているんだろう?
部屋を決めるときも、見たこともない知り合いでもないキャサリンの言うことで決めてしまって、契約するときは、家主さんに親指をつかまれて拇印を押されてしまった。
引っ越し祝いに部屋におく大きな置物は、ライバル会社サントリーのカモキン社長からの贈りもの・虎である。
もうちょっとロマンチックな置物はないのだろうか?

しかも、その虎というのは、カモキン社長の干支だというのだから、縁起もなにもあったもんじゃない。
この、サントリーは、エリーちゃんに、パフュームの贈りものまでしているのだから始末がわるい。

三週間かかって、登場人物が出そろってきたかんじである。
どの人も、ひとくせもふた癖もあるような、にぎやかな人たちで、そのなかで、なんだかボウッとしているのが、主役のマッサンであるが、こんなにぎやかな人付き合いのなかで、情熱を通していけるところが、うらやましくもある。

マッサンのウイスキー造りは、こうしたにぎにぎしいエネルギーの場から、創造されていくものなのかな、と思うと、本当にこれからも楽しみだ。


NHK「マッサン」第2週「災い転じて福となす」感想。

大好評で始まった、朝の連続テレビ小説「マッサン」。
前評判から人気があり、私も見どころがたくさんある、と思って楽しみに見ていたのだが、早くも気持ちが失速してきてしまった。
というのは、主役のマッサンに、魅力がない、ということなのである。

国際結婚がテーマである。
あの時代に、はるばる外国から、家族も故郷も捨てて、「あなただけよ」と日本に嫁いできてくれたエリー、この、ひとりの女性が、すべて捨てるだけの価値、どうしても好きで好きでたまらないポイント、というものを、マッサンのなかに探したのだが、それが見当たらない。
この、マッサンという男は、ただの「情熱バカ」なのではないだろうか?
夢は大きい、仕事にも熱心である。
でも、人の心への機微というものに欠けている。

人間関係や、あるいは、日本に嫁いできたエリーがどんな苦労をするか、という点で、そうした苦労をどう乗り越えていくか、という点で、まったく頭を使っていない。
もしかしたら、「おつむが弱い」のかもしれない、と思わせるほど、頭を使っていない。
これがいわゆる、「ダメンズ」という性質なのでないか、と思う。
ダメンズにまいってしまったのだから、エリーもその程度の女性でしかなかった、見る目がなかった、ということなのだろうか。


男は仕事さえしていれば、それで女性たちがついてくる、と思っている「誰か」がいて、こうしたドラマを作っているのだろうか?

第一週の「鬼の目にも涙」もそうであったが、姑の嫁に対する、いわゆる「嫁いじめ」「嫁姑問題」は、笑いを取れるほど、簡単な問題ではない。
また、第二週目の今週もそうであったが、マッサンが留学渡航する前に、婚約をした女性がいたということも、ずいぶんとあやふやな約束ではあったようだが、こうした状況におかれた女性、(優子)の気持ちも、深刻である。
優子の気持ちをないがしろにしたまま、それでもエリーの味方をする、この問題に真摯に取り組もうとしない、マッサンや周囲の男性たちの対応は、とても残酷である。
ドラマとしては、話題性を持とうとしたのかもしれないが、朝からイジメを見てそれを見続けるほど、私たちは暇を持て余しているわけではない。

しかし、男性側の思い違いというのは、こうした、仕事の邪魔になる女性たちの人間関係や感情というものを、「女難」と捉えていて、時にはこうして、女性たちの感情をかきまわすことを、男の甲斐性であるとか、もててもててしょうがなくて「うれしい悲鳴」と感じる傾向性がある、ということである。
別にこれは、マッサンがもてているわけではなくて、マッサンに、人の感情を思う心の機微と、人間関係を調整する頭脳がないだけ、なのである。

二週間見てきたのだが、最初の期待がだんだん薄れてきてしまった。
ただただにぎやかで騒がしいドラマ、という感じである。
それにしても、「あなたは仕事さえしていればいいの、私は意地悪でもなんでも耐え抜くわ」という女性が、どこにいるだろうか?
夫婦愛をテーマにしたというが、早くも興ざめである。

女性は、女性の気持ちや人の気持ちに敏感で、心遣い、言葉遣いの丁寧な男性が好きである。
仕事さえしていれば、人はついてくる、というのは、男性陣の、完璧な誤解である。
ただ、職場で、仕事の上司などであれば、仕事にプライベートを持ち込まず、仕事だけに専念している男性上司というのは、とてもやりやすい仲間となるかもしれない。
それでも、これからの社会で、仕事をする際に、女性たち、つまり複数の女性が仕事仲間であるときに、その人間関係を調整するのは、男性や上司の役割であるから、それができない上司というと、やはり願い下げである。


☆追記
このマッサンは、初めてエリーを日本に連れてくるときに、「お母さんがエリーに会いたいと楽しみに待っている」と言っている。
これは、真っ赤なウソであった。
このために、エリーがどれだけ泣いたかわからない。
マッサンという男は、物語の一番最初から、ウソツキなのである。


NHK「マッサン」第1週「鬼の目にも涙」感想。

朝の連続テレビ小説「マッサン」が始まった。
私も前々から楽しみにしていたので、一日、一日、いろいろな興味を持って、見ていた。
一週目は本当に、盛り沢山な内容で、意気込みが伝わってくる。
国際結婚のふたりが主人公とあって、英語の字幕が出たり、時には吹き替えになったり、日本の広島県が背景となるかと思えば、スコットランドに変わるときもある。
今週は、日本の実家に、外国人のお嫁さんを連れて帰ってきたところから始まって、回想をまじえながら、ふたりが出会ったいきさつや、結婚を決心するまでの心の流れ、日本に来るまでの心の葛藤や周囲の状況まで、描いていたと思う。
そして、新番組の紹介でもあったように、日本の文化を再発見する、という意図や、冒険の物語を描いてみたい、という意図も、とても盛ってあるかんじがした。
特に、日本文化の発見については、外国から来てくれたエリーの戸惑いを通して、日本人の私たちこそが、認識しなおせる、お楽しみも含まれているようで期待したいと思う。

「マッサン」を、これから半年間見ていくときに、どんなことをポイントにして自分なりに観察したり、発見したり、感動したりしたいかな、というときに、一週間見ていて私もあれこれ考えたけれども、ひとつとても気になることは、これは、男性が書いた脚本である、ということである。
男性には男性にしか見えない世界観があり、人間観があると、私は思う。
すでに、主人公の亀山政春は、ちょっと女性たちからは想像もできないような行動形態をとっていて、将来の夢も大きい。
ドラマのなかで、大声を張り上げるのも、とても意表を突かれるかんじがする。
それで、私はこのドラマを見るときに、「男のサクセスストーリー」という視点から、物語を眺めてみたいと思う。

考えてみれば、前回の「花子とアン」が、女性のサクセスストーリーであったので、そういった意味からも、比較検討もできて、面白い試みだと思うのだが、どうだろうか。

さて、政春の物語は、始まったばかりである。
まず、今週は26歳。
まだまだ若い。
将来への夢も希望も、とてもたくさん大きくある。
そのひとつひとつを実現させていくことが、政春の人生のストーリーだと言えるだろう。
今回のドラマは、子ども時代から時系列を追っていく、という構成ではないので、子ども時代のことはよくわからないが、それでも、誰もが20代には持っていた夢も希望も、男性なら誰もが持つ大志を、持っている。

政春はまず、「大恋愛をする」という夢をかなえたところである。
「大恋愛をして、愛し合って結婚する」「最高のお嫁さんをもらう」という人生の重大ポイントを成し遂げたところである。
この結婚が、日本に来たら、猛反対に遭う。

若い男性の希望も野心も、そして若いというだけで、こういうものではないだろうか。
同じNHKの大河ドラマでも、男性が主役だと、子ども時代から若い時代を描く放送回では、なかなか視聴率が上がらない。
というのは、子ども時代、若い時代は、凡庸でうだつの上がらない、どちらかというと恵まれないのが、男性の若い時代、というものだから、ではないかと思う。

男性社会は厳しい縦社会になっていて、若いというだけで、最下位である。
これが、大河ドラマでも、大人になって仕事上の成果を成し遂げるようになってくると、物語としても盛り上がってくるし、成功の喜びに満ちてくる。
若かりし時代を描いたときには、「まるで自分を見ているようだ」と苦々しい思いをしてチャンネルを回した視聴者も、成功が続く壮年時代になるとやはり「まるで自分を見ているようだ」とチャンネルを合わせるのである。

男性の若い時代というのは、こうして、夢と希望と野心があっても、うだつの上がらない風采をしているものである。
けれども、胸に秘めた夢への思いはとても熱く、重いものではないだろうか。
そして、その夢が実現できるのだろうか、実現できないのではないか、と不安と恐怖に怯えているのかもしれない。
また、若い時代でまだ何も始めていない時期には、自分自身の胸に秘めた夢を、誰かほかの人に語るということは、まったくないのではないか、と思われる。
ドラマのなかでは、政春は、親や実家の番頭さんや、あるいは空や田んぼに向って、「俺は日本で初めてのウイスキーを作りたいんだ!」と叫んでいるが、本当に男性たちは、自分の夢を口にするだろうか?
私はそういう姿をあまり見たことがないように思う。

けれども、恋人だけは別である。
私の友達の経験だと、それまで平々凡々と、「人生はたいがい良ければそれで良し」などと言っていた恋人が、打ち解けてくると、熱く夢を語る日が、いつか来るのだという。
その夢は、恋人にしか打ち明けたことのない内容で、ほかの誰かに言ったことは一度くらいはあるけれども、はなから莫迦にされてしまった、ということなのである。
そして、一度莫迦にされると、もう二度と誰にも言わない、と心を閉ざしてしまうのが、男性である、とその友達はいうのである。

政春にとっては、己の心に秘めたウイスキー造りへの夢を、恋人のエリーに語ったところから、人生が始まるのではないか、と思う。
男としての、成功へ向けての夢の第一歩である。
くじけそうになるとき、困難にぶつかるとき、周囲の反対に遭うとき、恋人であり妻であるエリーだけが、政春の本当の目的を理解して、支えてくれる。
妻、というのは、それだけで存在価値があるものであるし、それだけが、妻としての役割であるかもしれない。

政春は、妻エリーという理解者を、生まれて初めて、もったのだと思う。
そこから、サクセスストーリーが始まる。
男社会の上下、親子という上下もとても厳しい。
この厳しい下位にいて、エリーだけは、政春を見上げて、理解して、支えてくれるのである。


NHK「マッサン」主題歌「麦の唄」感想。

NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」が、新しく始まった。
何もかも、新しいかんじがして、とても新鮮である。
きょうは、主題歌をとりあげて、その感想を語ってみたい、という強い思いとなったので、書いてみたい。

麦の唄

なつかしい人々
なつかしい風景
その総てをはなれても
あなたと歩きたい

嵐吹く大地も
嵐吹く時代も
陽射しを見上げるように
あなたを見つめたい

麦に翼はなくても
歌に翼があるのなら
伝えておくれ故郷へ
ここで生きてゆくと

麦は泣き 麦は咲き
明日へ育ってゆく

作詞・作曲は、中島みゆきさんである。
ここでは、北海道時代のファンという意味からあえて「みゆきさん」と「さん」付で呼んでみたい。
「さすが」という気持ちである。
誰もが「マッサン」のあらすじをすでに知っていたと思うので、この主題歌が流れたとたんに、涙、涙である。
遠いスコットランドから、海を渡って、国際結婚で日本に来た妻・エリー、その気持ちを歌ったものであることは、よくわかる。
ここで、前回と同じく、国語として、国語教育の意味で、この歌を考えてみたい。

「なつかしい人々
なつかしい風景」
これは、エリーの母国、スコットランドを表していると思われる。
しかし、このワンフレーズをよく聞いてみると、次に続くのは、
「その総てをはなれても」なので、スコットランドを離れることがわかる。

次に、「嵐吹く大地」「嵐吹く時代」
これは、地理的な状況と時間的状況、雰囲気を表していると思われる。
「どんな場所でも」「どんな状況でも」
という意味だと考えられる。
そして次に、「嵐」に対比させるように、「太陽」を表す「陽射し」という言葉が続く。
この「太陽」が、夫であるマッサンを意味するのであるから、非常に、人間関係と愛情と立場を、自然環境にあるもので表現していることがわかる。

こうして考えていくと、「麦」は、とても表現豊かなたとえであり、たとえばエリーが自分自身の平凡さや無力さを思うのかもしれない。
また、夫婦の愛情を、麦という素朴な主食である穀物に例えたともいえる。
また、マッサンが目指すものは、日本初の国産ウイスキーなので、その原料である「麦」を出している。
ふたりの愛情と、絆と夢を、「麦」にたとえたわけである。

「伝えておくれ」で、エリーの国際結婚の意思が表れる。
そして、「麦は泣き 麦は咲き」
この「泣き」は、悔し涙や悲しい涙をさすだろう、
しかし、「咲き」では、成功を表す言葉が使われている。
試験の合格発表のときに、「桜咲く」と言う意味である。
こうして、マッサンのテーマと、ストーリーと、夫婦愛と、エリーの心情が、歌われている。
日本語としては、割合にスムースな手法となっているが、表現やたとえがとても的確でストレートであるように思う。

毎日、この主題歌とともに、ふたりの夫婦愛を確かめることができる、秀逸な歌である。


NHK マッサンが始まった! 感想。

秋、二学期、後期、いろいろな言い方があるが、ともかくテレビの世界では、新しい番組がたくさん始まった。
そして、私の大好きな、NHKの朝ドラこと朝の連続テレビ小説(私はテレビ小説、という言い方が大好きだ)「マッサン」も始まった。
今回の朝ドラは、主に大阪のNHK局が担当する。
これは、長い間、朝ドラを見ているとわかることであるが、4月から9月の前期は東京放送局、10月から3月の後期は大阪局が担当することに昔から決まっていて、日本全国放送ならではの、配慮かな、と思う。
「マッサン」というのは、ちょっと聞いただけではすぐにはわからないが、男性の呼び名だそうである。
今回の朝ドラは、夫婦、国際結婚、がひとつの大きなテーマになっていて、スコットランドからお嫁さんに来たヒロインが、夫の政春さんを「マッサン」と愛称で呼ぶところからきているそうだ。
とすると、ヒロインだけでなく、ヒロインの相手役であり、夫役であるマッサンも、主役、ということになる。

ヒロインのオーディションのときから、とても楽しみにしていたドラマが、きのう、第一回、始まった。
まず、とっても感動したのは、最初のシーンが、北海道のロケだったことである。
北海道の余市町から始まった。
この「余市」は、「よいち」と読む。

余市は、私は北海道にいたときから、何度も行ったことがあって、社会見学で、ニッカウヰスキーのファクトリーには、行ったことがあるし、その後も、友達も暮らしているし、ドライブのときには、小樽から足を延ばして、海沿いに走るときもある。
やっぱり余市というと林檎で、赤くてとてもおいしくて、冬は木箱に入った余市の林檎である。
それから、余市というと、有名なのは、宇宙である。
というのは、宇宙飛行士の毛利衛さんが、余市の出身なのである。
だから、余市の中心の公園には、スペースシャトルの銅像がある。
余市はとても素敵なところで、札幌から小樽へドライブして、小樽でおいしいお寿司をいただいてから、余市を見て回るととても素敵だと思う。

そうした余市のシーンから始まった。
あの独特の陽射しと、緑の木々と、青空のあの青は、北海道の夏の独特である。
たぶん6月の撮影ではないだろうか、と思ったので、ちょっと調べてみたら、やはりロケは6月だったようである。
それから、とても印象的な白樺並木であるが、これはスコットランドまでロケに行ったのだろうか?
私のよく知っているところでも、とても印象的な白樺並木があって、そことよく似ていた。
冬は雪の白樺並木となるところで、「マッサン」では、夏、初夏の、映像だった。
とても大好きな景色である。

こうして始まった、新しい朝ドラ、これから、寒い冬も、クリスマスもお正月も、そして、春3月を迎えるまで、楽しみに励みに、見ていきたいと思うのである。